レイカーズで別人になったJ.R. スミス

 「レイカーズで別人になったJ.R. スミス」。いじられることも少なくない彼だが、このタイトルにあるように、彼に対する公のイメージ以上に、人生の中で紆余曲折を経て成熟してきた。彼の人生のこれまでの道のりを紐解くと、彼の苦悩と葛藤、そして成功と成長を知ることができる。J.R スミスは、本当に愛すべき人だ。



 「私には多くの才能がある」と、J.R. スミスは豪語する。「私はおそらく3つか4つの異なるスポーツでプロになることができた」。

 スミスは自分自身を自慢しているわけではないし、これは誇張でもない。いくらかの選手は、自分には別のスポーツでも十分にプレイする能力があると、自分自身を過大評価する。例えば、NFLの選手が「自分はオリンピックのスプリンターになれたかもしれない」と言うときなどがそうである。そういったケースでは、いつでも疑ってかかったほうがいい。しかし、スミスの場合は例外だ。彼には本当に才能がある。彼はNBAで16シーズンプレイしているが、彼は一度バスケを諦める前にアメフトでディビジョンIの大学から高い関心を受けていたし、実はバスケやアメフトよりも野球のほうが得意だった。でも、バスケットボールは「3歳の時から常に自分にとってのファーストチョイスだった」とスミスは言う。


 現在、35歳。もしスターターならば、ファイナルの試合のティップオフの間際にこれほど長いインタビューをすることはないだろう。最近は、ほとんどの時間をベンチから見守ることに費やしている。しかし、スミスはレイカーズの一員として、その場にいられることに感謝している


 神童の開花は早いもので、スミスはまさにそれだった。彼は2004年に高校を卒業した後で直接NBA入りを果たした。それ以来、彼はこれまで合計で8,000万ドル(約80億円)以上を稼ぎ、2016年にはキャバリアーズでチャンピオンシップを獲得した。一方で、彼はこれまで、コミカルなものから悲劇的なものまで、いくつかの目立つミスも犯してきた。



 「J.R. スミス」の名前が出てくるだけで、鼻で笑われたり安っぽいジョークを言われたりすることがあるが、彼の持つ息を飲むようなスポーツの才能と人間らしい姿の両方が忘れられがちだ


 スミスは時々、自分が神童だった頃を振り返ることがある。18歳でプロになるというのは、18歳の時には喜ばしいことのように思える。しかし、35歳の時には狂っていることのように思える。

 「わかるだろ? 18、19歳になり、突然自分の懐に大金が入ってくるようになる一方で、全然チームが勝てない。難しいフランチャイズで難しい状況にいると、その時点では全くわからなかった」。

 プロスポーツは、私たちが欲しいと思っている約束をちらつかせる。金、名声、賞賛。スミスは、それらが本当の幸せだと思ってしまうほど、それらすべてを十分につかんでいた。彼は、何かが間違っているということを知っていたが、それが何であるかを知るのが難しかった。結局のところ、それは彼のせいではなかった。彼は成功者だった。


 ニューオーリンズ・ホーネッツで2シーズンを過ごした後、デンバー・ナゲッツに移籍した。彼の高い才能は明らかだったが、それをどうやって育てるかは誰にもわからなかった。「未熟」という言葉は、スポーツ界では的を射た言葉で、コーチと目が合わないプレイヤー、ディフェンスをサボるプレイヤー、ただ単にスピードが速いだけのプレイヤーなどがそれに当たる。

 2009年、スミスは一時停止の標識を無視してスピードを出しすぎて他の車に追突し、同乗者である親友のアンドレ・ベルを死亡させてしまった。スミスは打ちひしがれた。今、振り返ってみて初めて、スミスという人間の本当の姿がはっきりと見えてくる。

 「今、当時を表現するなら『迷子になっていた』と言えるだろう。当時は、自分が『迷子になっていた』なんて言わなかった。自分が何者で、何者になろうとしていて、どこに行きたいのかをはっきりと理解していると思っていた」。


 2009年、親友のベルが亡くなった事故から数カ月後、スミスは自分の生まれた名前である「アール」(Earl)として知られたいと発言した(彼の実の名前は「Earl Jr.」)。それは、彼が再出発を望んでいることの表れだった。しかし、彼の願いは叶わなかった。誰もが彼を「J.R.」として知っているので、誰も彼を「Earl」とは呼ばなかった、と彼の父であるアール・スミスは言う。

 「私は、両親を喜ばせようとしていた。組織を喜ばせようとしていた。仲間を喜ばせようとしていた。友人を喜ばせようとしていた。当時のガールフレンドを喜ばせようとしていたたくさんの違った人々を喜ばせようとしていたが、それはうまくいかなかった」。


 しかし、今は違うのかもしれない。NBAに初めて入ってきた2004年の時代に比べ、理解してくれる場所がより多くある。プレイヤーが声を上げれば、誰かが耳を傾けてくれるようになった。もし若い頃の自分自身に声を掛けるとしたら、J.R.は何を伝えるのだろうか。

 「何にも増して、ただ『自分の話す言葉』を意識しろ。お前が話す言葉は、思考のプロセスにすぎない。そして、その思考のプロセスが、お前の性格になってくる。それはいつか人生の中でお前に返ってくる。人生の目的から逸れてしまい、逸れたままなかなか抜け出すことができない状況に陥ることは避けたいものだ」。


 彼の公のイメージはいつも一人歩きしていて、それを捕らえることができなかった。彼は、公の生活のどこかに、自分自身が安らげるプライベートな空間、居場所を見つけなければならなかった。「『成熟』は、ある年齢になってからもたらされる。それは18歳かもしれないし、35歳かもしれない。『成熟』は、誰にでも必ず徐々に訪れるもので、ある人は早いかもしれず、ある人は遅いかもしれない。彼は今、物事の進め方というものにやっと気づけるようになったのだ」と、父であるアール・スミスは言う。


 スミスは、3人の娘を授かったことが自分自身を変えたと話している。「『丸くなった』とは言わないが、賢くなったかもしれない。なぜなら、この時代に若い女性たちを育てているとわかるのだが、彼女たちは守られていないんだ」。



 一方で、彼が成熟し切ったかどうかについては、いささか疑問があるのも事実だ。今年の夏、彼は自分の車の窓を割った車上荒らしを追いかけ、「尻を蹴飛ばしてやった」と誇らしげに語った(スミスはこの件で告発されなかった)。それでも、彼は明らかに、プレイヤーとして、またチームメイトとして成長している。このファイナルでわずかな出場時間に甘んじているにもかかわらず、レイカーズがチームに彼がいることを喜んでいることが何よりの証拠だ。

 「私は、ゲームにすべてを捧げなければならないように感じている」とスミスは言う。「選手、コーチ、審判、ファン、他の誰のためでもない。ただ、ボールとコートにだけすべてを捧げる。ゲームを愛していれば、ゲームはいつでもあなたを愛してくれるだろう」。


 スミスはファイナルで、ベンチの前に立ち腕を組んでいることもあれば、膝の上に手を置いてしゃがんでいることもある。時には、チームメイトにディフェンスのプレイを促すこともある。スポーツ界でほとんど何でもできていた男が、今ではチームのために、まるで別人になってしまった。でも、それでいいのだ。




参考:「With the Lakers, J.R. Smith Is Just Another Guy」

With the Lakers, J.R. Smith Is Just Another Guy


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