レイカーズのルーキー、タレン・ホートン・タッカーのバブルでの成長
米国人選手として史上最年少でNBA優勝を果たしたレイカーズのルーキー、タレン・ホートン・タッカー。ベテランばかりのチームにおいて、ホートン・タッカーは19歳のルーキーであり、今シーズン十分なプレイ時間を得ることはできなかった。しかし、チームにもたらすエネルギーを含め、チャンスが与えられたときにゲームにインパクトをもたらすことをずっと追い求めていた。
突然、チャンスは巡ってきた。プレイオフのセカンドラウンド、ヒューストン・ロケッツとのゲーム2でプレイオフデビューを果たしたホートン・タッカーは、ゲーム4でも出場機会を得た。第2ピリオド、まだ競った状況の中でコートに送り出されると、わずか7分間の出場ながら、5点、2リバウンド、2スティールを記録し、起爆剤としての役割を十分に果たし、勝利に貢献した。
ホートン・タッカーは、レギュラーシーズン中にほとんど出番がなかった彼がプレイオフの舞台で活躍できたことに対して、レブロン・ジェームスとチームメイトを称賛した。
“レブロンは「常に準備をしておくんだ」と教えてくれた。彼から伝えられた言葉が、自分の原動力となった。私にとってのプレイオフ初戦で、このアドバイスはまさに金言だった。レブロンを含めチームメイトが私に与えてくれたアドバイスは、「準備をして、忍耐をしていたら、必ずその時は来る」ということだった。
気持ちが高まりすぎても、落ち着きすぎていてもいけない。私はただ、自分のベストを尽くしたかった。それは、自分が知っているゲームをプレイして、正しい方法でプレイするということだ。”
3年前、ホートン・タッカーは、デリック・ローズも輩出した、シカゴのシメオンキャリア・アカデミー高校でスター選手として活躍していた。ESPNの高校バスケットボールのプレイヤーランキングでは、66位に名を連ねていた。彼は2018年に、シカゴを離れてアイオワ州立大に進むことを選んだ。それがNBAに辿り着くベストな道になると考えたからだ。
彼がブレイクするきっかけとなったパフォーマンスは、2018年11月20日、ハワイで行われたマウイ・インビテーショナルのイリノイ大戦で26点、14リバウンド、6アシストを記録したときに訪れた。多くのスカウトが当時のデュークのスター選手であるザイオン・ウィリアムソンやRJ・バレットなどに注目していたが、ホートン・タッカーの目を見張るパフォーマンスはすぐにNBAチームの目に留まった。
“マウイ・インビテーショナルで、私は乗っていた。自分でもかなりいいプレイができていたと思う。その後から、たくさんのことを耳にするようになって、すべてのことが少しずつ速くなっていったんだ。”
ホートン・タッカーは、アイオワ州立大での1年目のシーズンに平均11.8点、4.9リバウンド、2.3アシスト、1.3スティールを記録。2019年のNBAドラフトに参加することを表明し、ジェームスとアンソニー・デイビスのエージェントも務めるクラッチ・スポーツと契約した。
ESPNのランキングで100人中20位にランクインしていたホートン・タッカーは自分自身の可能性に賭けていた。そのため、NBA入りを目指して1年で大学を離れた。彼の希望は、出場機会を得られるチームに指名されることだった。
しかし、シカゴの自宅で家族や友人とドラフトを見届けていると、暗雲が立ち込めてきた。彼は1巡目で指名されなかったのである。しかし、2巡目46位でオーランド・マジックが彼を指名すると、2020年のドラフト2巡目の指名権と現金を引き換えに、レイカーズにトレードされることとなった。
“できるだけポジティブでいようと心掛けた。特にADが来るということもあって(ドラフトの5日前、レイカーズはロンゾ・ボール、ブランドン・イングラム、ジョシュ・ハート、そして3つの1巡目のピックと引き換えにデイビスを獲得していた)、レイカーズだとわかったときは気持ちは前向きだった。レイカーズにはすでにレブロンがいたしね。私にとっては、ベテランのスターたちがいることはプラスだった。私は、レイカーズの一員になれることに満足していたよ。”
ホートン・タッカーと同じくシカゴ出身のデイビスは、ドラフト後にレイカーズに加わることが決まったホートン・タッカーにフェイスタイムで祝福を送った。
「彼の名前は聞いたことがあったが、彼をしっかり追いかけて注目していたというわけではなかったんだ。でも、彼がクラッチスポーツと契約したことは知っていたし、彼らは『タレンはシカゴ出身でシメオンに行っていた』と教えてくれた。だから、彼にフェイスタイムで連絡してお祝いをしたんだ。彼がここに来たとき、私たちはシカゴのつながりについても話をしたんだけど、それも大きな意味を持っていたよ」。
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